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1929:日特建設
証券コード | 1929: 日特建設 |
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会社情報 | 東証1部, 建設業 基礎、地盤改良など特殊土木大手。環境、防災に強み。筆頭株主が不動テトラから麻生グループに |
チャート | |
株コメ数 | 0件 (直近12時間) |
株コメ判断 |
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直近12時間の株コメから買い/売りのキーワードを抽出した数です |
詳細情報
直近12時間の株コメ情報
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#21:
日特建設 【1929】
21日前 (04/25 18:24)
爺もGであったが、1929年前夜がこうだったとよく言っていた。激しく上がったり下がったりでも米国民は上がる方に全財産を注ぎ込んだのだ。
#22:
日特建設 【1929】
23日前 (04/23 13:40)
逆ザヤと云えば、昨日こんなのがあった。
500日以上逆ザヤなのは、歴史上三回しかないらしいが、その時は株式市場は50%以上のクラッシュだったとか。
2008,1929,1974だそうだが、
教祖様が儲けたのは2008年だな。
素敵姐さんの心の故郷の中国では「乱るるは、愚者の多幸」とか云うが
#23:
日特建設 【1929】
24日前 (04/23 08:23)
暴落暴落と・・・
急落しただけで暴落を知らぬ者の口癖が飛び交う
1637年2月3日チューリップバブル
1929年10月24日ウォール街大暴落(世界恐慌)1987年10月19日ブラックマンデー
1990年1月日本のバブル崩壊
2000年3月ITバブル(インターネットバブル)崩壊
2008年9月リーマンショック
↑これらもググッたらその理由が解る!
20%前後で暴落やバブル崩壊と騒ぐのは
資金管理出来ない信用フルレバ組や無知組のみ
そんな人は【株は怖い】と更に叫び退場して行く
#24:
日特建設 【1929】
24日前 (04/22 16:38)
エリオット的に
2709から始まったのが下落3波として、それがもっとも小さな波にはならないよう、1929を割らなかった
それで納得は出来るものの、1955を割りながら1933までの下落という結末だった場合、底ギリロンガーはかなり苦しいですよね
まぁ日足終値で2456を超えてこないと、まだ下も十分にあり得ますけども
今のところ2400付近までは安心して見ていきたいところ
#25:
日特建設 【1929】
25日前 (04/22 08:29)
もっと上げてください
#26:
日特建設 【1929】
27日前 (04/19 20:42)
JPMとMSはグループではない
ジョン・ピアポント・モルガン(J・P・モルガン)は、1895年、米国での金融事業会社J.P. モルガン&カンパニー(J.P. Morgan & Company)を設立しました。
その後、鉄鋼・製紙・電気事業等に投資を行い巨大化しましたが、1929年の世界恐慌により打撃を被ります。また、これを受けてグラス・スティーガル法(銀行と証券の兼営を禁止する法律)も制定され、市中銀行になるか投資銀行になるかの選択を余儀なくされました。
J・P・モルガンは恐慌以前に比較的収益の安定していた市中銀行としての道を選び、分離された証券・投資銀行部門はその後モルガン・スタンレー(MS)となったのです。
モルガン・スタンレーの”モルガン”はジョン・ピアポント・モルガンに由来するものではなく、投資銀行部門の一般社員から昇進したヘンリー・モルガン(ジョン・ピアポント・モルガンの孫)の名前に由来します。
J・P・モルガンは2000年にチェース・マンハッタンと経営統合、JPモルガン・チェースとなり、総合金融企業として米国ではシティグループ、バンク・オブ・アメリカに次ぐ第3位です。
また”JPモルガン・チェース”は持株会社としてのブランドであり、”チェース”は米国内のリテール銀行業務(預金、クレジットカード、住宅ローン、保険、投信等)を、”JPモルガン”は米国外を含む投資銀行業務(資産管理、証券業務、プライベートバンク、プライベートエクイティ)を分担しています。
モルガン・スタンレーは、アメリカの証券会社・投資銀行であり、米国ではゴールドマン・サックスにつぐ第2位です。
現在のJPモルガン・チェースとの間に直接的な関係はありません。
#27:
日特建設 【1929】
2546日前 (05/27 11:27)
証券分析 第二版 市場全体の状況をよく見ておくこと。市場が過熱している時は手を出してはいけない。市場が反落すると不人気株、割安株も反落する。逆に市場が安すぎる時もこのての株(不人気株、割安株)はよくない。そういう時は主力株を買うのが賢明で戻りが早い。結局、市場が高くも安くもないノーマルな時は不人気株、割安株などの投資法が効果的だと言っている.........今現在市場はノーマルな時?か...も。いずれにせよ、超割安株は無くなっていきます。バフェット氏がグレアム手法(割安株への投資)から成長株への投資に変化したのは割安株が無くなったから。1929年世界大恐慌から1950年ごろはデフレで割安株がごろごろあった。バフェット氏はこのころ投資を開始、割安株で相当利益を出した。1970年なり割安株は無くなり割高感が強まりほとんどの株を売却。その後市場は下落、再度割安株投資を行っていたが、もう通用しないことに気が付き、成長株(コカ・コーラ等)投資に変換した........ 株は自己責任でどうぞ。
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