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1951:協和エクシオ
証券コード | 1951: 協和エクシオ |
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会社情報 | 東証1部, 建設業 NTT工事など電気通信工事大手。情報通信、IT関連にも注力、グループ一体運営を強化中 |
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#2:
協和エクシオ 【1951】
1日前 (04/26 15:05)
本日(4/26)13:48、2018年9月26日に記録した上場来高値の
¥1,705.0(取引中)を更新(¥1,707.5)しました。(^o^)/約6年ぶり
残念ながら終値は上場来高値(¥1702.5)を更新できませんでしたが、
¥1,702.0(終値)は4/24の年初来高値¥1691.0(終値)を更新しました。
終値の上場来高値も、あとたった¥0.5です。
明日からの3連休がもどかしいですね。
2024年3月期決算説明会は5月10日です。
#3:
協和エクシオ 【1951】
1日前 (04/26 14:14)
高値更新おめでとうございます!
最高に嬉しいです☆彡
#4:
協和エクシオ 【1951】
1日前 (04/26 13:41)
青空天丼 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
#5:
協和エクシオ 【1951】
1日前 (04/26 12:48)
急騰!🐶
#6:
協和エクシオ 【1951】
2日前 (04/25 11:34)
まだマイナスなので、頑張って
#7:
協和エクシオ 【1951】
3日前 (04/24 19:05)
年初来高値おめでとうございます(⋈◍>◡<◍)。✧♡
#8:
協和エクシオ 【1951】
3日前 (04/24 15:36)
今日(4/24)の高騰¥1691.0(終値)で
4/22の年初来高値¥1681.5(終値)を、また更新しました。
なにげに取引中の年初来高値(¥1,693.0)も更新です。
次は2018年9月26日に記録した上場来高値の
¥1,702.5(終値/分割後価格)越えまで、あと11.5円です。
明日(4/25)にも更新しそうな勢いですね。
2024年3月期決算説明会は5月10日です。
#9:
協和エクシオ 【1951】
3日前 (04/24 14:57)
1705円超えたら、青空天丼食えるのここ?
#10:
協和エクシオ 【1951】
5日前 (04/22 15:18)
今日(4/22)の高騰¥1681.5(終値)で
3/22の年初来高値¥1679.5(終値)を更新しました。
悪決算バーゲンセール、3月下旬の大幅下落を乗り越えて、
正に完全復活です。
日経平均が暴落中の今頃達成したのも価値がありますね。
次は2018年9月26日に記録した上場来高値の
¥1,702.5(終値/分割後価格)越えです。
あと、たった21円です。
5月10日の2024年3月期決算説明会を楽しみに待ちましょう。
#11:
協和エクシオ 【1951】
5日前 (04/22 12:21)
大井町線はかつて「田園都市線」だった…田都40周年のフクザツな歴史
4月9日で東急田園都市線は全線開業から40周年を迎えた。渋谷から中央林間まで31.5キロを結ぶ田園都市線は複雑な成り立ちを持つ。首都圏屈指の通勤路線がどのように形成されてきたのか、歴史を振り返りたい。
(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
鉄道整備と沿線開発で
私鉄界の「東の雄」に
田園都市線の歴史は1960年9月、東急大井町線の延伸区間として溝ノ口(後に溝の口に改称)~中央林間間20.1キロの免許を取得したことに始まる。路線名の「田園都市」は、渋沢栄一らが創設した田園都市株式会社に始まる東急のルーツであり、精神そのものだ。
1923年に設立した子会社・目黒蒲田電鉄(現在の目黒線・東急多摩川線)が目黒~蒲田間に鉄道を建設し、田園都市会社が洗足や多摩川台など東京市南西部に住宅地を整備。高級住宅地として名高い「田園調布」もこの過程で開発された。
続いてグループの東京横浜電鉄が渋谷~横浜間に現在の東横線を建設し、新丸子や菊名、日吉などの沿線開発に着手した。阪急電鉄創始者の小林一三が作り上げた、鉄道整備と沿線開発を中心とする私鉄ビジネスモデルを取り入れた東急は、私鉄界の「東の雄」として成長する。
しかし目蒲線、東横線の沿線開発がほぼ終了したことで、祖業である「田園都市開発」は停滞し、1950年の営業収益は鉄道とバスがほとんどを占めていた。そこで1951年に五島慶太社長が表明したのが、田園都市事業の復活、城西南新都市(多摩田園都市)計画だった。
戦争で一時、減少した東京の人口は復興とともに再び増加傾向に転じ、住宅不足が問題化していた。東急はこうした需要を取り込むべく、東横線と小田急線、国鉄南武線と横浜線に囲まれた一帯の建設に着手した。
【2024.4.15 Diamond Online】
#12:
協和エクシオ 【1951】
8日前 (04/19 17:28)
残念ながら、平和時以外でも、戦争時において鉄鋼業は重要な役割を果たします。過去には、戦争による需要増加や国家の戦争機構の整備に伴い、鉄鋼業は急速に発展しました。戦後日本の鉄鋼業の歩みとその特徴を簡単に確認してみましょう。
戦後の鉄鋼業の発展:
終戦直後の1946年に日本の粗鋼生産量はわずか56万トンで、戦前戦中のピークであった1943年のわずか7.3%でした。
しかし、政府の復興政策により鉄鋼業は優先的に生産再開を図り、朝鮮戦争の勃発により需要も急激に増加しました。
1951年には粗鋼生産量が650万トン、1953年には766万トンに達し、復興を終えることとなりました。
#13:
協和エクシオ 【1951】
15日前 (04/12 06:20)
733の続き
「〔平和条約と旧安保条約が発効したときに〕
もしもまだ国連が朝鮮で軍事行動を続けていた場合は、
日本は、国連が朝鮮の国連軍を以前と同じ方法で、
日本を通じて支援することを認める」(1951年2月9日)
ここで最も重要なポイントは、
右の傍点部分にある「朝鮮の国連軍」も、
それを日本を通じて支援する「国連」も、
その実態は米軍そのものだということです。
つまりは朝鮮戦争の開始以来、
占領軍からの指示によって行っていた米軍への兵站活動(後方支援)を、
独立後も変わらず続けるというのが、
この「吉田・アチソン交換公文」の持つ本当の意味だったのです。
その後の日米交渉のなかで、この取り決めはさらに改悪され、
「朝鮮」という地域的な限定も、「国連」という国際法上の限定も、
ほとんどなくなってしまいました。
その結果、現在に至るまで日本は、
米軍への戦争協力を条約で義務づけられた世界で唯一の国となっているのです。
#14:
協和エクシオ 【1951】
15日前 (04/12 06:15)
730の続き
解説 吉田・アチソン交換公文
このきわめて重大な取り決めは、
サンフランシスコ平和条約や旧安保条約と同じ1951年9月8日に、
アメリカのサンフランシスコ市で結ばれました。
「交換公文」とは、
政府の責任者間で書簡を往復させたという形をとった広義の条約のひとつです。
旧安保条約と同じく「吉田・アチソン交換公文」もまた、
事前には日本国民にいっさいその内容が知らされない「事実上の密約」
として結ばれたものでした
(アチソンとは平和条約にも旧安保条約にもサインした、
当時のアメリカの国務長官の名前です)。
というのも、日本の占領を終えるにあたって、
米軍の駐留継続(旧安保条約)や、米軍への軍事支援の継続
(吉田・アチソン交換公文)を交換条件とすることは、
ポツダム宣言にも国連憲章にも違反する行為だったからです。
そのため平和条約によって独立を回復した日本が、
あくまで自由な意志に従ってそれらの取り決めを結ぶというフィクションが、
アメリカ側の交渉責任者であるダレスによって作られていたのです。
サンフランシスコの豪華なオペラハウスで平和条約が結ばれた
9月8日午前の時点では、
まだそれらの文書は存在しないことになっていました。
ところが実際には、もちろん条文は用意されていて、
その日の午後5時からサンフランシスコ郊外の米軍基地内で、
吉田首相ひとりの署名によってこの2つの取り決めが結ばれたわけです。
当初の日米交渉の段階で、
アメリカ側から提案された「吉田・アチソン交換公文」の原文は、
次のようなものでした~
#15:
協和エクシオ 【1951】
15日前 (04/12 05:20)
728の続き
危機に陥った米軍
1950年6月25日に始まったこの朝鮮戦争で、
日本から出撃していった米軍(朝鮮国連軍)は当初、徹底的に負けるわけです。
それはマッカーサーの判断ミスで、
北朝鮮が南に攻めてくることなど絶対にないと考えていたため、
敵を迎え撃つ準備がまったくできていなかったからでした。
しかし、それでも米軍は負けなかった。
それは対馬海峡の対岸にある日本から、
どんどん武器や弾薬や兵士たちが送りこまれていたからで、
「兵站が続けば戦争は負けない」という軍事上のセオリーの、
まるで教科書のような戦況だったわけです。
米軍にとってそれは、
「歴史上もっとも困難をきわめた戦争のひとつ」だったのです。
さまざまな戦争支援
そうした状況のなか、
連合国軍という名のアメリカ陸軍に占領されていた日本は、
さまざまなかたちでこの戦争への協力を求められることになりました。
おかげで「朝鮮特需」といわれる巨額の経済的利益がもたらされ、
まだ復興の途上にあった日本経済を大きく潤すことになりました。
日本の独立に向けての日米交渉のなかで、日本は当時、
朝鮮戦争に関して行っていた、そうしたさまざまな米軍への軍事支援を、
「独立後も変わらず継続します」という条約を結ばされてしまうことになったのです。
それが1951年9月8日、
平和条約や旧安保条約と同時に交わされた「吉田・アチソン交換公文」
という名の条約です。
「おそらく読者のみなさんは、どなたもそのことをご存じないでしょう」
もちろん当時の国民も、その取り決めが持つ本当の意味について、
だれひとりわかっていませんでした~
#16:
協和エクシオ 【1951】
17日前 (04/10 12:51)
ここはデータセンター銘柄です。
#17:
協和エクシオ 【1951】
18日前 (04/09 16:09)
配当金権利確定後に大きく落ちましたが、
3/22終値の年初来高値(¥1679.5)から配当金(¥30)を考慮すると¥1649.5です。
つまり本日(4/9)の終値¥1,650は、ある意味で年初来高値を更新していますね。
次は真の意味で年初来高値(¥1,679.5)、18年9月26日の上場来高値¥1,702.5越えを目指しましょう。
#18:
協和エクシオ 【1951】
19日前 (04/08 15:27)
あーじゃない、こーじゃないとグダグダ言わないで事業実績を見極めようではないですか❔
#19:
協和エクシオ 【1951】
22日前 (04/05 03:23)
他の長文は消した、このコメントだけでいいや
iwon構想を読んで、光ケーブルで電力を流して電源線にするって話が出てこないのに電気を通すって言葉でだけでそれは出てこん、アンタが自分の考えを押し付けたいだけだろ
光ケーブルで電力を流すのに対応する装置なんて作るの無駄すぎ
同業他社で働いてた人間からすると光ケーブルに電力を流すくらいなら普通に電源線を敷設すれば良くねってなるくらいどうでもいい
装置一式に含まれてるから施工費は変わらんし
無線基地局の工事がメインの会社の掲示板でiwon構想の話題を出してたから、6Gに関連付けて無線給電の方が先に頭によぎっただけから荒唐無稽な例えばの話をしただけだし
手を使わずねっとりとって奴は、ぼやかしてコメントしてるだけで、ぶっちゃけなんも考えてねーだろって俺は思ってる
俺はiwon構想に光ケーブルで電力を流して電源線にするなんてこと書いてなかったからアンタの結論には辿り着きもしなかったわ
んじゃさよなら
#20:
協和エクシオ 【1951】
22日前 (04/05 00:31)
あと、光ケーブルでかなりの電力を送れます。
光中継機とかに利用すれば超長距離通信が可能です。
IWON構想に含まれるかは知りませんが、たぶんその事を言っているのでしょう。
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